全日本テニス選手権87th レビュー

2012.11 :: 全日本テニス選手権87th レビュー

伊藤 竜馬

伊藤竜馬の全日本テニス選手権の決勝進出は、今回が3度目。周囲からは『今年こそ優勝を』という期待が高まっていたが、本人はどこか他人事のように飄々としていた。昨年は「全日本のために」と大会前の2週間に出られたはずの大会にも出ずトレーニングに当てて臨んでいたが、今大会には「特別な準備はせず、流れの中で臨んだ」という。「もちろん特別な思いはある大会ですが、今年は数多くある大会の中の一つとして捕らえています」。大会期間中の伊藤はそう話していた。

伊藤 竜馬伊藤の良さは、精神的にリラックスできていて、思い詰めたりしていない時に最も強く発揮される。言わば開き直った時が一番強いというのが伊藤、という印象が強い。それは自然体でラケットを振り抜いていく、彼のプレースタイルとマッチした特性なのだろう。決勝では「今大会の目的は、若手たちを見ることと、伊藤にタイトルを取らせないこと」と話していた杉田祐一の気迫に押される形で敗れたが、試合後も落ち込んだ雰囲気は皆無で、「これで全日本はまた宿題として残ってしまいましたね」と笑顔さえ見せていた。
夏以降の伊藤はサービスの改善に苦しんでいて、さらに「トップ30を目指して戦って行くために」と探してきたフランス人コーチをこの全日本からつけたばかり。言わば、様々なことが準備中という段階で迎えてしまったのがこの全日本だったということなのだろう。昨年のように背水の陣を敷いて臨んだわけではなく、また、ジュニア時代からのライバルである杉田が最高に近いプレーをしてきたことで負けたのだから、それも仕方がないという余裕にも見えた。そうした荒削りの状態でトップ50に迫っているのが伊藤。彼は元々持っている素質だけで、そこまで行った選手と言っていい。さらに磨きをかけていけば、もっと上を狙えるという実感を、彼自身も感じつつあるのだろう。自分のテニスが完成すれば、当然の結果として全日本も取れる。そう感じているからこその余裕に見えた。

伊藤 竜馬今までの日本男子にとっての全日本は「悲願」だったり、「念願」のタイトルだったが、伊藤はもう少し上から見下ろしているようにも感じられる。錦織 圭と同じく、彼も過去の常識が通用しない選手なのかもしれない。勝った杉田は目一杯のプレーをしていたが、伊藤はどこか余裕を残したままに見えた。強くなるための伸びしろという意味では、伊藤のそれはまだまだ大きな余地が残されている。タイトルの獲得も、今年ではなかったというだけで、来年以降にいくらでもチャンスがあるだろう。そう感じさせてくれるのもまた、伊藤の強さのように思える。


内山 靖崇

内山 靖崇 前述した通り、「若手を見たい」と言っていた杉田に、誰か目立った選手はいたかと聞くと、彼は間髪入れずにこう答えた。「やっぱり内山(靖崇)ですね」。その内山は、早稲田大学の田川翔太と組んだ男子ダブルスで、昨年優勝ペアである近藤大生・伊藤竜馬組を下して初優勝を果たした。「まだ実感がわきません」と試合直後は話していたが、20歳での全日本タイトルは、彼にとっては大きな勲章であり、自信の源になるだろう。
内山のテニスの完成度は高く、どこにも隙がない。だが、それは同時に現時点では頼れる武器がないという弱点にもなっていて、彼の周囲の人々に言わせると、内山自身も自分のテニスに自信を持ちきれていないのが現状なのだという。シングルス準決勝で杉田祐一に敗れたのは、そういう彼の弱点を知り尽くした杉田が序盤から畳み掛け、内山から戦意を奪って試合を終わらせたからだった。

内山 靖崇 しかし、内山のテニスにはもはや、技術的な面で揃っていないパーツはほとんどない。最後のピースは自信だけと言っていい。試合に勝つための自信。これが彼の中に組み込まれれば、あとは今まで構築してきたプレーをどう組み合わせていくかだけで、あっという間に結果もついてくるようになるだろう。彼自身は今の日本男子の活躍から出遅れているという意識が強いらしいのだが、同じ時期の添田 豪や伊藤竜馬がどうだったかを思い出せば、20歳で今のテニスを完成させている内山のポテンシャルは極めて高いと言ったほうがいい。この全日本で最も目立ち、大きなキッカケをつかんだ若手選手が誰かとなれば、それは杉田の言う通り、内山だろう。今後の彼の活躍に期待したい。

澤柳 璃子

澤柳 璃子 女子に目を移すと、澤柳璃子の順調な成長ぶりが印象的だった。ラリーでは全球違う球種、コース、リズムで打つという課題を自らに課しているのではと思うほど、様々なボールで勝負する今まで日本人女子にはいなかったプレーをするのが澤柳の特徴だが、今年はさらにパワーが加わって、ハードヒットした時の球威とスピンによる高低の揺さぶりの幅が増していた。シングルスでは3回戦で大前綾希子に敗れたが、同じ18歳の二宮真琴と組んだダブルスでは、第1シードの瀬間詠里花と瀬間友里加のペアを下すなどして、決勝進出を果たした。女子のテニスでは、ダブルスで強いかどうかが、その選手の技術力を計る物差しになると言われる。ベースラインからのストロークのコントロール力、相手のポーチを回避するための広い視野、ネットプレーのための前後の動きのセンスや、ボレーのテクニックなど、ダブルスで求められる要素は多く、女子のジュニアに多い「ストローク力だけが高い選手」ではダブルスでは勝てないからだ。
負けん気の強い澤柳にとって、今年の全日本は納得できるような結果ではなかっただろうが、昨年8強に進出して注目された後、1年分の成長をきっちりと見せられたという点では大きな意味がある。今大会では強いボールを打てるようになった分だけ、それに頼ろうという傾向が見られ、持ち前の多彩さがやや失われているような印象もあったが、このまま試合経験を積み重ねて行けば、テニスセンスでは抜群のものを持つ彼女ならいずれ必ず、身につけた武器を実際に生かす解答を見つけ出すに違いない。
澤柳 璃子 いい相手といい試合を繰り返すこと。澤柳は恐らく、強い相手との試合の中で、相手からどんどんいい所を吸収して成長するタイプだ。次の1年の彼女のスケジューリングは、その辺りをより考えたものとする必要があるだろうし、可能な限り多くの「いい相手」との練習や対戦経験を積む必要もあるだろう。2年後あたりが本当に楽しみな選手が誰かとなれば、その筆頭として澤柳の名を上げておきたい。

伊藤、内山、そして澤柳。近い将来の日本テニスの展望は明るい。そう感じさせてくれたのが、今年の全日本テニス選手権だった。