「もう取れないと思った」。オンコート・インタビューで思わず口にした一言が、伊藤と全日本の関係をそのまま表している。最初に決勝進出を果たした時には添田 豪に敗れ、2度目の一昨年は守屋宏紀に、3度目の昨年は杉田祐一に敗れた。昨年と一昨年は優勝候補と見なされての参戦だったが、伊藤のパワフルなショットを知り尽くした国内屈指のカウンター・プレーヤー二人に優勝を阻まれた形となった。特に昨年の全日本は世界ランキング60位台で迎え、本人もかなり強い気持ちで優勝を狙っての参戦だっただけに悔しさもひとしおだったはずだ。
その伊藤、「今年はリラックスして大会に臨んでいる」と大会序盤に話していた。添田は大会直前にウイルス性腸炎で出場を辞退したものの、今年の大会には杉田も守屋も参戦し伊藤の前に立ちはだかっていたが、今年は『来季に向けてのステップにしたい。結果として優勝できればうれしい』という心境だったのだと言う。
実際、伊藤のプレーは、今季の試合や練習の中で身につけた、相手との駆け引きの中で自分のパワーを生かすテニスを試す、という雰囲気があった。1回戦でジュニア上がりの斉藤貴史、2回戦では大学生の遠藤豪に格の違いを見せつけて勝利し、準々決勝の吉備雄也戦も吉備の捨て身の強打にやや手こずりつつも試合をしっかりとコントロールする横綱相撲で押し切った。そして準決勝で待っていたのは、強烈なフォアハンドを武器としインカレを3連覇してきた大学生の田川翔太だったが、伊藤はこの試合も落ち着いて田川の強打を受け止めながら戦い勝ち切った。伊藤から見れば、自分と同格以上の対戦相手との戦いがなく、幸運な勝ち上がりと言えなくもないが、怖いもの知らずで向って来る相手ばかりとの対戦の中で、試合のまとめかたが格段に向上しているのを見せていた。
そして決勝の相手、西岡良仁もそうした存在だった。西岡は杉田と守屋を連破しての決勝進出で、鋭いステップワークからの高い守備力で相手に隙を与えず、思い切りのいい攻守のスイッチでウィナーを量産してここまで勝ち上がってきていた。その西岡戦を前に、伊藤は「去年は決勝を戦うという気持ちが強過ぎた。今年は相手と戦いたい」とコメント。西岡のことを「杉田選手も守屋選手も西岡のテニスに対して焦ってミスをしていた。自分には無理をしなくてもいいだけのスピードがある」と分析していた。実際、伊藤はこの言葉通りのテニスを決勝で披露。ラリーでミスがなく、追い込まれても展開をイーブンに戻す能力が高い西岡を相手に、ポイントを取り急いで無理を重ねるような選択はせずにじっくりと打ち合いながら、要所で持ち前のパワーショットを使い、しっかりと勝ち切った。
テニスにおいて勝つべき試合で勝つというのは簡単なことではない。それは伊藤が一番良く知っているはずだ。過去の守屋や杉田との決勝も、当時の情勢で言えば、伊藤が勝たなければならない試合だった。それを考えると6-3、6-3のストレートという今年の決勝のスコアは、伊藤の成長をそのまま表していると言っていい。杉田や守屋をその術中に嵌めて破ってきた西岡を、伊藤は逆に懐に入れて正面から打ち破った。
「みんなの応援があってここまで頑張れた。一人ではできなかった」。伊藤が涙ながらに話したスピーチは、彼らしさに溢れていた。選手が勝って笑うのは当たり前だが、伊藤の場合はたとえ負けた直後でも、笑顔で相手のプレーを褒め称えることができる性格の持ち主。デ杯チームでもムードメーカーと呼ばれる彼だが、それだけ周囲に気を遣えるのが伊藤。自分が結果を出すことは、自分のためだけでなく、周りの人たちを喜ばせることと真っすぐに考えられる選手だけに、その喜びもひとしおだったようだ。
女子の今西美晴は、決勝で19歳の穂積絵莉に敗れて準優勝に終わったものの、昨年の準々決勝の山外涼月戦でマッチポイントを握ってから敗れた試合の悔しさを晴らすための全日本としては上出来以上のプレーを見せた。高校卒業後すぐにはプロにならず、所属する島津製作所でOL選手として1年間を過ごし、自信を育んでプロ転向したのが今年の春。「テニスに専念できるようになって、自分の成長を毎日感じられた」と大会期間中に話していた。
小柄な今西にとっては、機動力とショットの精度の維持、最後まで諦めない心と体が武器だが、今の彼女はそれらの要素がうまく複合し、相手からすると『勝ちにくい選手』に成長している。今後は自分で勝ちにいくための手札をもっと増やせれば、さらなる結果もついてくるだろう。今後の彼女に期待したい。
上記の伊藤、今西に対し、結果として残念だったのは内山靖崇。2回戦までは良かったが、準々決勝では守屋を相手にいいところを出せず2-6、4-6で敗退。リターンを武器とし、ラリーの展開力でも上という守屋が相手というのは内山にとっても辛いところだったが、ラリーでは深いボールで後ろに釘付けにされ、強引に前に出ると難しいボレーを強いられているうちに守屋に戦意を奪われたという形だった。
今の内山に必要なのは自信だろう。各ショットのクオリティは極めて高いものを持つが、それらを使いこなせていないのが今の内山。試合の中で成功体験を積み重ねていくしか道はないが、地道に取り組み自信として育てていけるかどうかが今後の彼の課題だろう。全日本と言わず、世界レベルの大器と言えるのが内山の才能。その花が開く時を今は待ちたい。