メンフィスで史上初の3連覇を達成した錦織 圭。1週間のオフをとったあと臨んだのが太平洋に面した風光明媚なリゾート地、メキシコのアカプルコで行われたアカプルコ大会だ。この大会、2013年まではサーフェスがクレーだったが、昨年からハードにスイッチ。これは、この後に続くマスターズ1000のインディアンウェルズやマイアミというビッグトーナメントがハードということも関係している。ハードに変わったことで選手はコンディション作りがしやすくなり、事実、錦織もサーフェスがハードということで、このアカプルコへの参戦を決めている。
そしてこの大会、錦織は第1シード。しかし、不安要素もあった。それは「メンフィスのあとインフルエンザになって、満足に練習できていなかった」(錦織)こと。それでも、それが逆にリラックスして試合に臨める要因になり、メンフィス大会序盤では多かった『錦織らしくないラリーの早い段階でのミス』がなく、締まった試合を展開。1回戦ゴンザレス(6‐3、7‐5)、2回戦盧(6‐1、6‐3)、準々決勝ドルゴポロ(第5シード。6‐4、6‐4)とストレート勝ち。すると準決勝では、メンフィス決勝でも倒したアンダーソンを6‐2、3‐6、6‐3で下して決勝進出。コートが遅めのハードだったこともあり、フットワークとドロップショットなどの小技を使いやすかったのが、病気&練習不足だった錦織にとっては幸いした。
だが決勝のフェレール戦では、そのサーフェスの遅さがアダとなる。フェレールはこのアカプルコ前のリオデジャネイロ(クレー)で優勝して好調だったが、そのクレーに近い球足の遅い今回のアカプルコでは、錦織が左右にボールを展開しても諦めずに走り回る。そこで、「もっとリスクを取って攻めていく」ことを選択した錦織。すると、ここにきてインフルエンザによる調整不足でその“狙ったショット”が少しアウトしたり、ギリギリでネットの白帯にかかるという状況に。その結果、「アンフォースド・エラーが多くなってしまった」(錦織)と3‐5、5‐7で敗退。2014年のマイアミから5連勝(ハード4大会、クレー1大会)していたフェレールに、久々に負ける結果となってしまった。
しかし、この準優勝でランキングを自己最高の4位に上げた錦織。「大会に来る前にインフルエンザになって満足に練習できていなかったことを考えたら、決勝まで勝ち上がれたのは良かったと思う。この後のデ杯、そしてインディアンウェルズとマイアミに向けていい感じの調整ができたと思う」と手ごたえを得たコメントを残しコートをあとにした。