コロンビアでのデ杯ワールドグループ・プレーオフの後は、北区の味の素ナショナルトレーニングセンター(以下NTC)で練習とトレーニングを積んで楽天ジャパンオープンに備えた錦織。昨年は全米オープンの準優勝からATP250のマレーシア・クアラルンプールで優勝、そしてATP500の楽天ジャパンオープンでも優勝と連戦の中で結果を出したものの、その後はさすがに疲労困憊となり、続く上海のATP1000大会では初戦で敗退した反省を踏まえてのスケジューリングだった。
楽天ジャパンオープンを前にした練習場所にNTCを選んだのも、以前と違い日本で非常に大きな注目を集めるようになったからだ。NTCは施設の性格上、あらゆる取材が禁止され、ファンの目からも隔絶される。今の彼にとってはNTCの環境が最適だったからに他ならない。また、年間を通じて唯一の国内公式戦で、彼にとって大事な大会であるのは間違いないにせよ、今や正真正銘のトップ選手の錦織にとっては、ここで全力を使い果たしてしまうわけには行かず、理想的に言えば、楽天ジャパンオープンは余力残しで優勝し、今季残り2つのATP1000大会で結果を出した上で、ロンドンのATPツアー最終戦に臨みたいというのが本音でもあるだろう。そのためのNTCでの「合宿」だった。
しかし、今回の楽天ジャパンオープンのドローは、「余力残し」で勝てるようなものではなかったのが不運だった。
1回戦の相手は間もなく19歳になるボルナ・コリッチ(クロアチア)で、7月には18歳の若さで33位を記録し、すでにナダルやマレーからも勝ち星を挙げるなど、次世代のスター候補と目される中でも筆頭と言える有望株。大会の中で徐々に調子を上げていく、という形など望むべくもなく、錦織は1回戦から全力で戦うことになってしまった。
コリッチは序盤から全力で飛ばし、錦織から第1セットを6-2で奪った。試合後に「第1セットは自分の限界以上のプレーが出ていた」とコリッチは振り返っていたが、第2セットに入るとわずかにフットワークの切れが落ち、その隙を見逃さずに畳み掛けた錦織が6-2で奪い返すと、第3セットは最初のコリッチのサービスゲームをブレークしてリードした錦織が、冷静に試合を運び6-2で取って勝利した。 「まずはしっかり勝ててうれしい」と錦織はコメントしていたが、この試合で見せた錦織のプレーは印象的だった。
最近の錦織は、サービスやリターンから概ね3球程度以内にポイントを取りにいく、展開の早い攻撃的なテニスを軸にプレーしてきていた。そのため多くのファンに忘れられかけていたかもしれないが、元々彼は長めのラリーの中で相手の攻撃を受け止めながら、逆襲に転じて勝っていく強さも持っていた。それをこの試合は思い出させたという印象だった。
第1セットはコリッチの攻勢を真っ向から受け止めてしまい、強打の打ち合いに持ち込まれてしまっている気配が強かった錦織だったが、「攻め過ぎた」と感じた第1セットを落とした後は、きっちりと戦術を修正して、第2セット以降を支配した。
勢いのある若手。パワー単体で見れば相手の方が上という状況での正面対決ではさすがの錦織でも不利を被る。「第2セットからはショートクロスや、深いボールを使えるようになり、ラリーも長くして自分のミスで終わらないようにした」と錦織は振り返っている。長短いずれの展開も使える強さが今の錦織であり、どんな相手にも戦える形を持っているからこその世界のトップ5という格を見ることができた気がした試合だった。
2回戦はサム・クエリー(アメリカ)をストレートで退け、迎えた準々決勝は昨年の全米オープンの決勝で敗れたマリン・チリッチ(クロアチア)。テニスファンのみならず、日本中のスポーツファンの注目を集めたこの一戦を、錦織は3-6、7-5、6-3の逆転で勝った。
この試合での錦織は、序盤では力みからか強打してもボールが浅く、それをチリッチに逆襲される形で落としたが、第2セット以降は徐々に修正した。チリッチは23本のサービスエースを奪うなど、サービスは好調そのものだったが、錦織はリターンで様々なタイミングを駆使する駆け引きでチリッチのサービスから隙を引き出し、第2セット第12ゲーム、6-5で迎えた30-30の場面で遂にチリッチのファーストサービスを捕まえる。バックハンドのリターンを深く突き刺した錦織に対して、チリッチがフォアハンドをネットにかけてブレークポイントでのセットポイントとなり、続くポイントではセカンドサービスにバックで飛びついた錦織が、またもチリッチのフォアを狂わせてセットを奪った。
第3セットに入ると錦織のストロークが深く入り始め、チリッチはサービスでしかポイントを計算できないという雰囲気になっていく。錦織のサービスの調子も上がり、第5ゲームではこの日最速の200キロのサービスエースを決めてキープして4-1とすると、ほぼ大勢は決し、錦織が勝って準決勝に進出した。
準決勝では全米オープンの1回戦に続いて6-1、4-6、2-6でブノワ・ペール(フランス)に敗れた。この試合の敗因は相性の悪さを克服し切れなかったことと、今大会のペールが大当たり状態だったことに尽きるが、初戦のコリッチ戦から激戦続きだった影響も少なからずあったのではなかろうか。
相性の悪さという意味では、錦織の表現を借りれば「とてつもないバックハンドを持っている」というペールのバックサイドを崩す手札を、この試合での錦織が見つけられなかったという点がある。
錦織はバックハンドで角度をつけて相手を崩し、コートの内側に入って決めて行くというパターンを持っているが、これがペールを相手には使えないと判断したのか、序盤はフォアサイドを突くことで相手にミスを強い、ポイントを重ねて一方的な形を作った。しかし、ペールも試合の中で修正し、第2セット以降はフォアサイドでミスを出さなくなっていく。
フォアでミスが消えたペールに対して錦織が放った二の矢は、左右に散らしながら、的を絞らせずにラリーを支配するという形だったが、バックのクロスラリーでは明らかに不利を強いられ、散らしたつもりが相手のストライクゾーンに打ってしまうという悪循環にはまってしまう。第2セットの第7ゲームで5度あったブレークチャンスを逃した錦織に対して、ここをしのいだペールは完全に生き返り、そのまま試合をひっくり返してしまった。 「あそこが一番悔やまれるポイント。リターンのミスがブレークポイントで続いた。あそこで取れていれば、第2セットも簡単に取れていたかもしれない」と錦織は試合後に悔やんだが、ペールも「ラッキーだった」と窮地だったことを素直に認めつつ、「あの場面では、ケイの方によりプレッシャーがあったんだろうと思う」と話していた。
連日1万2000人を記録した今大会の観客動員数は過去最多となった。観客たちのほとんどは自分を見に来ているという感覚、前年優勝者、そして第2シードとして当然優勝を期待される存在としての重圧など、今までの日本男子が誰一人経験したことのない状況を背負っているのが今の錦織だ。そして、その重圧に関して言えば、コーチのマイケル・チャン氏ですら今の錦織の立場は理解不能に違いなく、自ら克服するしかない。
だが、重圧があるからこそ、乗り越えた時の成長もある。今季終盤の錦織の活躍に今は期待しよう。