「小学校6年生の時に初めて全日本を生で見て、その時にセンターコートで試合をしていたのが添田(豪)さんと寺地(貴弘)さんだった」と内山靖崇(北日本物産)。そして、「僕もいつかここで試合をしたいと思った」と彼は言い、「出場選手のリストを見たときから、添田さんに勝って優勝したいと思っていた」と続けた。「だから、格別の気分です」。
全日本の決勝を戦ったのは、第1シードの添田豪(GODAIテニスカレッジ)と第2シードの内山で、内山が7-6(4) 6-4で勝って、初の全日本決勝進出で、初優勝を果たした。
決勝までの内山は、この1年の活躍で順調にランキングを上げており、夏にはクアラルンプールでATPツアーの本戦の舞台を初めて踏んだという自信を感じさせるプレーで、初戦の2回戦では綿貫敬介(明治安田生命)、3回戦で菊池玄吾(Team REC)、準々決勝で18歳での8強入りで注目を集めていたIMGアカデミーの後輩の福田創楽(Project ALC)などに対して貫禄の違いを見せつけるような圧倒的なプレーを披露。それぞれストレートで下して勝ち上がってきていた。前年優勝者の江原弘泰(日清紡ホールディングス)が相手だった準決勝こそ、江原が試合前から腹筋を傷めていて、まともにサービスが打てず、第2セット途中での棄権による勝ち上がりと不完全燃焼ではあったが、江原が好調であれば消耗性は避けられないと見られていただけに、決勝に向けては好材料とも言えた。
決勝は雨のためインドアの環境で行なわれた。第1セットはお互いに譲らず、タイブレークにもつれこんだ。そして、タイブレークで先に6-2とし、4本のセットポイントを握ったのは添田だった。
「開き直りではないが、タイブレークは添田さんのものだろうなと思っていた」と内山。だが、これで逆に「目の前の1ポイントに集中できるようになった」という内山が逆襲する。
ここまでが接戦だった分、セーフティに近いリードを得たことで添田が逆に硬くなったのか2度のダブルフォールトを犯したり、また、内山の打ったボールがネットにかかってタイミングが変わり、添田が返球できずにそのままポイントとなったりして気がつけば6-6と内山が追い付いていた。13ポイント目は高速ラリーがやり取りされた末に内山が取り、最後は添田のフォアがロングとなってタイブレークは内山が取って第1セットを奪った。2-6とされた後の6ポイント連取という逆転劇だった。
「第1セットを取れたのが、この試合で勝てた大きな勝因」と内山は言う。1セット分の余裕が生まれた内山は、第2セットでもタイブレークの勢いのまま、伸び伸びとしたプレーを披露し、先にブレークに成功して4-2とリードを広げ、第8ゲームでブレークバックされて一度添田に追い付かれたものの、続く第9ゲームですぐにブレークバックに成功。最後の自分のサービスゲームはラブゲームでキープして初優勝を果たした。
「第2セットは先に自分がブレークして、その後はサービスが良かったので、トントン拍子でサービスキープして、このまま添田さんが終わらせるわけがないと怖くなり始めていた」と内山は言う。リードしている方が有利だとは限らないのがテニス。「6-0・5-0で来ていても、最後の1ゲームが本当に遠い」と以前ある選手が話してくれたことがあるのだが、内山は第8ゲームでブレークバックされたことが逆に自分を落ち着けてくれたのだと話している。 「(第9ゲームで)ブレークして迎えた5-4のサービスゲームでは思い切りいけた。これが4-3でキープして5-3でサービスゲームだったら硬くなっていたかもしれない」。テニスはメンタルのスポーツだと言われ、流れがあると言われるが、勝つ時というのはこうした不確定要素がすべて勝者の味方をするということなのだろう。
「全部を出し切れたので、今は清々しいというか、そういう感じです」と負けた添田が完敗を認めたのが、この日の内山のテニスだった。 「今は信じられない気持ちでいっぱい。錦織選手と同じステージで戦えるよう、これからも頑張っていきたい」と観客の前で内山は言葉にした。錦織の背中はまだまだ遠いが、近づいて行けるかどうかは内山次第。ジュニア時代から大器と期待され続けた内山が、大きな一歩を踏み出したのがこの全日本優勝だった。
女子ダブルスを制したのは第3シードの久見香奈恵と高畑寿弥(ともに橋本総業)。第4シードの井上明里(レスポートサックジャパン)と宮村美紀(フリー)を、6-4 6-7(9) 6-2で下しての優勝だった。久見の全日本タイトルはこれが初で、高畑は2011年大会で青山修子(近藤乳業)と共に取ったダブルスのタイトル以来2度目の全日本だった。
向上心が強く、不器用だが必死で努力を続けて来た久見の初優勝にもドラマがあるが、高畑もまた、大きな挫折の後の栄冠だった。 「2011年に全日本を取って、2012年にはランキングでもキャリアハイを記録。さあこれからグランドスラムに、と思っていた4月に右膝十字靭帯と半月板を傷めて、9か月間コートに立てなかっただけでなく、歩くことからの再スタートだった」と高畑。
高畑は25歳(大会後の11月17日に誕生日を迎える年代)。相愛大学時代の2009年にはインカレで優勝し、2011年のユニバーシアードのダブルスでも青山とのコンビで優勝するなど、期待される存在だったのだが、全てがケガで白紙に戻されてしまった。
「(ケガから復帰して)最初にコートに戻った時にコーチにサービスを打ってみろと言われて、その時に空振りをしたんです。でも、コーチから「そんなもんや」と言われてすごく楽になって、今まで色々な人に支えられてここまで来られました」と高畑は笑顔を見せた。久見とのダブルスは、後ろで粘る久見に対して、高畑が前で相手にプレッシャーをかけ、チャンスでは確実に決めるという形が作れているときが一番強さを発揮していた。
だが、相手の宮村と井上のベテランペアも最後まで勝負を捨てず、第2セットのタイブレークを9-7で奪い返すと試合の流れはまったく読めない状況になった。
「第2セットを落としたあと、ロッカールームに着替えに戻って、大声で叫んで、クリーンな気持ちでコートに戻った」と高畑は言う。第2セットを落とした瞬間、久見から「いったん出よう」と言われて二人でメンタルの立て直しを図ったのだというが、種類は違うが、お互いに苦労の多いキャリアを重ねてきたペアだけに、石にかじり付いてでもこのタイトルが欲しいという気持ちは同じだったのだろうし、高畑にすれば「お姉さんみたいで、テニス界全体のことを考えて動けるところを尊敬している」という久見と一緒に全日本を取りたいという高畑の強い気持ちもあったのだろう。
第3セットは久見・高畑が4-1とリードを広げると、そのままの勢いで勝利まで駆け抜けた。試合時間にして2時間54分。久見・高畑の努力は、大接戦の末に実った。
「ダブルスでグランドスラムを目指したい」と言う久見に、高畑も笑顔で応えていた。二人ともまだシングルスを捨ててダブルスに専念する、というわけではないようだが、そういう夢を語るペアが出て来るのも、日本テニス界の成熟があればこそだろう。今後の二人の活躍を期待したい。