錦織 圭とウイルソン日本支社が用具提供契約を交わしたのは、2001年のこと。当時11歳、それは息子の非凡な才能を見抜き、応援したいと考えていた父・清志さんからの依頼が、ウイルソン・道場氏に届いたことがきっかけだ。小学生との契約話は、前代未聞。ところが、プレーする錦織と直接会うと、一気に「気になる存在になった」(道場氏)。プロとしての可能性などは考えず、“できる限りのことをやってあげたい”――そうして異例の契約は実現した。
実は、錦織 圭とウイルソンのラケットの関係は、その以前からスタートしている。人生初のラケットは、110平方インチの「HYPER HAMMER 5.3」。同じHYPER HAMMERの厚ラケを使っていた父が、同シリーズの競技者向けモデルをプレゼントしたのだ。
2001 HYPER HAMMER6.3 95 |
2002 HYPER HAMMER5.2 95 |
小学6年生の時に全国選抜ジュニアU12、全国小学生、全日本ジュニアU12で優勝し3冠達成。 |
『修造チャレンジ』に最年少で参加。 全日本ジュニアU14ダブルスで優勝。 |
そして2つ目のラケットは、まだ錦織とウイルソンが契約する前に錦織自身が選んだ「HYPER HAMMER 6.3 95」。このラケット選択には、当時の道場氏も良い選択だったと語る。ウイルソンには、競技レベルの選手には95平方インチこそが最適だとする考え方がある。空気抵抗が少ない面の小さいラケットでスイングスピードをあげ、ボールをコントロールするという考えだ。この頃、錦織とウイルソンは契約をすることになる。「HYPER HAMMER 6.3 95」が契約時のラケットとなった。今も続く錦織とウイルソンのストーリーはここから始まる。
そこから錦織は、全国選抜ジュニア、全国小学生、全日本ジュニアと三冠を達成。そして最年少で修造チャレンジに参加。その際の相棒は、彼にとって3本目となる「HYPER HAMMER 5.2」。
そして舞台はアメリカへ。IMGアカデミーでの武者修行に旅立った13歳の手に握られていたのは「H TOUR」。フレームの内側にカーボンファイバー繊維の補強材を格子状に張り巡らせる「アイソグリッド」テクノロジーが採用され、パワーとコントロール性を高めたラケットは、錦織をして「一番印象に残っている」と言わしめるものだ。
2003〜2004 H TOUR 95 |
2005 N TOUR 95 |
アメリカ・フロリダ州のIMGアカデミーにテニス留学。 |
ウィンブルドン・ジュニアでGSジュニア初勝利。 USオープン・ジュニアではベスト16をマーク。 |
続く「nTOUR」は、フレーム強度、安定性を高めるため、カーボン繊維の間にナノレベルの粒子、シリコン・オキサイドを配置するnCodeを採用。このモデルから、シカゴにある本社ラボで最終調整を行うようになった。というのも、当初同モデルを使いだした際、海外選手の強打に対抗するため、錦織はフレームに多量の鉛を張っていたため。まだ出来上がっていない肉体を考慮すると、そのチューンナップは危険を伴う。そこで道場氏が、トップヘビーにするチューンナップを本社ラボに委託したのだ。
16歳から使用を始めたのは「nTOUR Ⅱ」である。要望によりグリップを長くし、フレームにナノ・フォームテクノロジーを、ストリングホールにダブルホールテクノロジーを搭載したモデルで、錦織は全仏ジュニアダブルス優勝。17歳9ヵ月でプロ転向。この年より縦にポリ系モノフィラメント、横にナチュラルを張るハイブリッドへ移行している。
2006〜2007 N TOUR TWO 95 |
2008〜2009 K TOUR 95 |
全豪オープン・ジュニアでベスト8入り。 全仏オープン・ジュニアではダブルス優勝。 |
プロ転向後GS2戦目となるUSオープンで 当時4位のフェレールを下しベスト16入り。 |
18歳のシーズンは、特筆すべき年だ。デルレイビーチ国際選手権でツアー初優勝を果たすと、USオープンではD.フェレール(スペイン)を破ってベスト16入り、そしてATPワールドツアー最優秀新人賞を受賞。そのすべては、「[K]TOUR」を使って成し遂げたもの。ここで錦織に“右ヒジの疲労骨折”という苦難が訪れる。
その欠場明け、20歳となって迎えた2010年シーズンから使用を始めたのがTOUR BLXシリーズ。
2010 TOUR BLX 95 |
2011 TOUR BLX 95 ORANGE |
全仏でジョコビッチ、ウィンブルドンでナダルと、GSという大舞台でトップ選手との戦いを経験。 |
デ杯日本チームの柱として全試合で勝利。 日本を27年ぶりとなるワールドグループ復帰へ導いた。 |
玄武岩からなる繊維、バサルト・ファイバーを用いたもので、パワーだけでなく、衝撃吸収性にも長けた素材を使用している。それがフィットしたということもあるのだろう。TOUR BLX 95、TOUR BLX 95 ORANGEを使用し、その間にランキングも40位台まで上げると、2012年楽天ジャパンオープンでツアー2勝目を果たしている。
ここまで紹介したラケットには実は共通点がある。それは「289gの重量+34.0cmのバランスポイント+22mm厚フレーム+95平方インチ」という<錦織スペック>と言われるものだ。ジュニア時代からプロ初期まで、ハンマー・バランスのラケットを使うことで、体格で勝る相手に打ち勝ってきたのである。
そして、錦織のラケットは新時代に突入する。
2011年秋より使用を始めた「STeam PRO」以降、ラケット作りは本社ラボにて一からオリジナルのものが作られることになる。同モデルの開発時に、錦織からあった要望は「打球時のフィーリングをもっとクリアに感じ取りたい」というもの。この要望に対しては、バサルト・ファイバーの配合量を増やすことで対応。本来年明けから使用する予定だったものが、試打をした際「すぐにでも使いたい」となり、秋からのデビューとなったという。ちなみに、同モデルを使用して臨んだ楽天ジャパンオープンでは2度目の優勝を果たしている。
2011〜2012 STeam PRO |
2013-2014 STeam 95 |
新ラケットSTeam PROで臨んだ全豪オープンでG5初のベスト8入り。楽天ジャパンオープンでは地元初優勝を飾った。 |
2014年は初のトップ10入り、USオープン準優勝、そして年末ランキング5位と飛躍の年となった。 |
実は、この大会の準々決勝でベルディヒを破った際、「もっとディフェンス力を上げたい。劣勢の状況でも深く強く返して、相手にダメージを与えたい。ただ打球感は変えないでほしいです」という要望が出されていた。それに対して、ウイルソンが作りだしたのが「STeam 95」である。最大の特徴はパラレルドリル。通常、フレームに対して放射線状に空いているストリングホールを平行に空けることで、ストリングの可動域が拡大。スイートエリア面積、パワーがアップするというテクノロジーである。この完成品も同様に、秋のテストで気に入り、2013年7月より使用を開始している。2014年USオープンは、このラケットで決勝まで勝ち上がったわけだ。
そのUSオープンから遡ること4ヵ月、マドリード・マスターズでは、股関節痛のため途中棄権を強いられる。それが教訓となって、錦織はショートポイントの必要性を痛感したという。そして、「打球のスピードをもっと上げたい」とウイルソンに要望。2015年シーズンから使用を開始した「BURN 95」こそ、そのためのスペシャルラケットだ。基本的構造は、STeam 95のまま。フェイス面の内側にハイ・パフォーマンス・カーボン・ファイバーを採用。パワーロスを軽減したBURNは、テストの結果(ウイルソンラボでのマシンテストでは平均8%も球速がアップ)どおり、サーブ速度がアップ(ブリスベン国際では自己最速となる時速200キロを2度記録)。ツアー3勝、全豪、全仏でベスト8。ツアー最終戦出場とランキング4位にふさわしい結果を残した。
2015-2016 BURN 95 |
2017- BURN 95 CV |
メンフィス3連覇、バルセロナ連覇、そしてUSオープンベスト4とBURN 95は大きな武器に。2016年リオ五輪ではナダルを破り、銅メダルを獲得する快挙を達成! |
疲労の蓄積が体に現れた2017年。カウンターベイル搭載のBURN 95 CVは、大きな助けとなる。2018年、切れ味を増して復帰を果たすと、USオープン、ベスト4で復活の狼煙を上げる。 |
同年末に、ウイルソンと「現役終身契約」(今日現在、フェデラーと錦織の2人のみ)を結び、迎えた翌2016年夏にはリオ五輪で、銅メダルを獲得している。
そして2017年から使用となったのは、現行の「BURN 95 CV」である。それは『打っても疲れないラケット、できませんかね(笑)』という錦織のジョークが開発の発端となったもの。最新科学では、衝撃の蓄積こそが筋肉にダメージを与えることが明らかになっている。その衝撃を軽減するため、NASA公認の新素材、カウンターベイルを採用することとなった。同年、不運な故障もあったが、2018年USオープンではベスト4となり、復活ののろしを上げている。
ジュニア時代から一貫して求めてきたのは、「ボールにパワーを与えやすいラケット」である。その究極のモデルを求めて、使用モデルごとに完成度を高めてきた錦織 圭。その飽くなき欲求は止むことをしらない。次はいかなるモデルとなるのか? ベールを脱ぐ、その時が待ち遠しい。