04年~08年まで、全米を5連覇したのがロジャー・フェデラーだ。しかし今季はグランドスラムでのタイトルなし。このまま全米も取り逃せば、03年のウィンブルドンで初優勝して以来、毎年取り続けて来たグランドスラムタイトルが途切れる。一生の内に一度でも取れれば、その選手の人生は成功だったと言ってもいいのがグランドスラムタイトル。そのタイトルをフェデラーは16度も取って来た。もちろん史上最多。だが、それでも勝ちたいと考えるのが選手の本能。フェデラーもまた、いずれラケットを置く時までは、その闘争本能を満足させようとするはずだ。
フェデラーの強みは何と言っても『テニスのうまさ』。トッププロたちでさえ憧れる理想型の選手としての存在感は、いまだ衰えてなどいない。彼が全米で強かったのはこの要素に負うところが大きい。アマチュアのレベルだと如実に現れるが、同じプレー時間でも、初心者と上級者では疲れ方がまるで違う。それはテニスがうまいプレーヤーほど、無駄な力を使っていないから。これはトッププロといえども同じことで、同じ試合数、同じ結果を残している選手同士でも消耗の度合いは変わる。1月の全豪でスタートし、春の北米ハードコートを経て、ヨーロピアン・クレーのデスマッチ。短い芝のシーズンを終えて、再び夏の北米ハードコートに戻る。それがテニスの1年。ニューヨークに辿り付く頃には、ほとんどの選手が消耗し、どこかに痛みを抱えている。「世界中のどこで生まれたとしても、ラケットさえ握っていれば必ず世界に君臨した」と言われるのがフェデラーという選手の才能。普通の選手が10のエネルギーを使って5~7のボールしか作り出せないのだとすれば、フェデラーは10使えば10の威力のボールを生み出せる。それが長いシーズンの中で消耗度の差となり、全米のフェデラーを有利にさせてきた側面は否定できない。
今季のジョコビッチは強い。しかし、強すぎたとも言える。彼自身初めて経験するであろう消耗による影響が、そろそろ現れて来ても不思議ではない。そして、先行するジョコビッチを抜き去る存在がいるとすれば、それはフェデラーを置いて他にはいない。今年の全米も期待していていいのではなかろうか。逆に、取り逃すようなことがあれば、周囲の状況は一変してしまうだろう。すでに薄れつつある威圧感が完全に消え、すべての相手が最初から彼に勝てると信じてコートに入る状況となってしまう。恐らく、序盤からその存在感を誇示するようなテニスを見せられる状態で大会に入るだろう。どんな1回戦を戦うか。まずはそこに注目しておきたい。
このフェデラーと同い年で、今やアメリカ勢のトップとなったのがフィッシュだ。ジュニア時代から「ボールにペースをつけるセンスが高い」と言われた彼は、どちらかと言えば独特の感覚でプレーする選手だった。そして今もその良さは失われていない。ゆったりとして見えるフォームから放たれるサーブの威力は高く、チャンスと見るや一瞬でポジションを上げてフラットに打ち抜くフォアの精度は抜群で、ネットで仕留める嗅覚の鋭さはかつてのサンプラスを思い出させることもある。伝統的なアメリカンスタイルを継承しつつ、彼流に洗練させたテニス。彼がきれいに勝利を収める時の試合は、見る者には「いつの間にか勝っていた」という印象を与える。それは才能のある選手に共通した特徴と言ってもいい。
フィッシュは故障が多く、20代の前半は停滞を続けたが、その時代があったからこそ今の彼の強さがある。彼はフィジカルをイチから作り直すというレベルまで自分を追い込んだ。センスに経験が加わり、そして自信がプラスされた。勝つことを覚え始めた遅咲きの天才。今年はフィッシュからも目を離さない方がいいだろう。
「セリーナが本気になったら、結局誰も敵わない」。いつも強気だったヒンギスが、02年の最初の引退間際にそう言葉にしてからすでに10年近い歳月が流れた。しかし、セリーナは相変わらず、当時と同じ迫力を周囲に放ち続けている。ウィンブルドンでの復帰戦は、やや復帰を焦っていた感があり、4回戦でバルトリに敗れてしまったが、約1ヵ月の再調整を経て挑んだ北米シリーズの緒戦であるスタンフォードでは、再びその存在感を見せつけた。この大会での彼女はバルトリにウィンブルドンでの雪辱を果たして優勝したのだが、大会を通じてはリシツキ、キリレンコを退け、さらに好調を維持していたシャラポワをストレートで下しているのだ。夏のハードコートシーズン開幕戦で、各選手ともに本調子ではなかったということを割り引くとしても、完全復活と言っていいだろう。決勝で敗れたバルトリは「全米でも十分に優勝候補になりえるレベルだった」とさえ話している。
セリーナ・ウイリアムズは、彼女がコートに立てている状況でさえあれば、その戦闘力は他のほとんどの選手より上にあると見た方がいい。例えば、彼女の仕上がりが7分程度でも、正確無比で強烈なサーブ、フォア、バックともに一撃でどこにでも決められるストロークといったパワーの面ではもちろん、リターンでポジションを操作してプレッシャーをかけてくる場面での駆け引きや、試合の要所の見極めなど、ソフト面でもその強さを発揮する。スタンフォードではシャラポワがそのサービスをズタズタに切り裂かれたが、これはセリーナのリターンのうまさにだけ原因があるわけではない。一度のブレークが命取りとなるサービスゲームの磐石さなども含め、試合を通じてセリーナが意識的にシャラポワのサービスを破壊したと言った方がいい。また、セリーナは大会の序盤にはルーズな状態だったとしても、試合を重ねながらフィットしてくる選手でもある。1回戦の時と決勝ではまるで別人というのも珍しくない。恐らく、全ての上位選手たちは、彼女がシードを獲得できる位置までランキングを戻した状態で、全米を迎えて欲しいと願っているはずだ。1回戦からセリーナ・ウイリアムズ。たとえランキングNo.1プレーヤーでも、これは悪夢以外の何ものでもないだろう。
アメリカという国は、全英や全仏でいくら勝ち星を重ねても、全米で勝たなければ、その選手をなかなか認めようとしない。逆に優勝までは届かなくても、彼らが認める強豪相手に勝った、あるいは善戦したという事実があれば、それだけで評価したりもする。ウィンブルドン2連覇を果たし、すでに№1だったフェデラーに向かって、アメリカ人の記者が「君は最近随分と調子がいいみたいだけど、アンドレに勝てると思っているか?」と質問し、若きフェデラーがややムキになって反論していたのは04年大会中盤での出来事。この年、フェデラーはそのアガシを破って優勝し、アメリカでもスーパースターの地位を手に入れることになる。
ペトラ・クビトワがアメリカで真の意味で受け入れられるためには、ウィンブルドンのタイトルだけでは不十分だろう。何しろ全米での彼女はまだ2週目にすら勝ち残ったことがない。だが、活躍できる可能性は高い。左からの強烈なサーブとフォアはハードコートでも大きな武器になるはずで、多少のフットワークの悪さも彼女の強打が決まっている状況であれば何の問題もない。自分から相手を先に左右に振っていく展開を作れれば、ボールは彼女の元に戻ってくる形を作れるはずだ。これはかつてのモニカ・セレスが得意としていた戦法。強打でコートの両サイドを削ると、相手はリスクを取ってストレートを攻めるか、真ん中に返すしかない。角度をつけ返すという手もあるが、クビトワのボールを相手にそれができる選手は限られている。問題はウィンブルドンの優勝で得たのが自信なのか、達成感なのかということ。後者であれば、危うい。攻撃型のプレーヤーで最も大切なのは集中力の維持と、攻守2通りの選択肢が現れたときに迷わずにリスクを取って攻められるかになる。クビトワは序盤戦に注目が必要だろう。
女子のもう一人の若手ギョルゲスのテニスはまとまっていて隙がないが、その反面ハードコートではややパンチ力に欠ける。過去の全米も2回戦までと、実績的にもあまり良くはない。しかし、強くなる選手に共通の兆候を彼女の戦績が示している。負けた相手たちだ。少なくともクレーシーズン以降の彼女には「不可解な敗戦」が見られない。彼女に勝った相手はいずれも実績も実力もある選手たちばかりになっているのだ。
総合力に優れ、安定した選手というのは、逆にある一定以上の強さを持つ相手にはまるで歯が立たないことがあるが、一度でも勝ち方を覚えると、二度と同じ相手に負けない状況を作り出せる選手と言い換えられる。彼女がそのステージへと脱皮を図れるか否か。この全米がひとつのカギとなるのは間違いなさそうだ。
生意気さと強さは表裏一体。特に若手と呼ばれる時期の間は、変に物分りがいい選手のほうが心配だ。錦織もグルビスもその意味では人を喰ったところのある選手と言える。ナダルやフェデラーを「意外に大したことなかった」と言ってのけたグルビス。世界4位だった当時のフェレールを相手にした全米の3回戦で、第4セットをためらいもなく"捨て"、最終セット勝負にかけた18歳の錦織。どちらも時折≪破格≫な態度を見せ、そしてそれが当たり前だという顔をする。
グルビスは最近、引退してからまだ間もないギレルモ・カナスをコーチに迎えテストしている。現役時代のカナスは故障や手術で年単位の離脱を複数回経験しながらも、その都度復活し上位を賑わせた選手。テニス界の鉄人伝説を担う一人だ。グルビスもまた、アップダウンの激しい選手だから、ということなのかもしれないが、先代のコーチだったヘルマン・グミーに次いでカナスという選択は、彼が自分自身に足りないものを理解していることも感じさせる。グルビスに足りないのは、何よりもコンスタントさだ。それはシーズンを通じて安定した状態を作ることから始まり、1試合を同じペースで進めること、あるいは1ゲームを安定して終えることまで、すべての面での安定感が足りない。ファンからすると、それも彼のたまらない魅力の一つではあるのだが、『あの強烈なショットが1ゲームにつきあと2回コートの内側に入るようになったら』とどうしても考えてしまう。
錦織もまた似た選択をしている。フルタイムではないとは言え、参謀役として付けたブラッド・ギルバートと錦織の相性は、当初はあまりプラスには見えなかった。錦織のテニスの強さを支える大きな柱の一つは意外性。劣勢の場面でサーブ&ボレーをしてみたり、不意にバックからアングルを打ってみたりと、セオリーの裏を突くようなプレーが錦織の持ち味でもある。だが、ギルバートのテニスは、プレーにルールを作ってそれを縛るやり方。基本的にはセンターに深く返すことを選手には何よりも重視させるのだと聞く。錦織はこの数年でナダルやジョコビッチなど、時代を代表するトップ選手とグランドスラムで対戦してきたが、恐らくその中で自分のテニスをどう進化させていけば彼らと勝負できるようになるのかを考えたのだろう。その結論として、意外性が武器なだけでは無理であり、正攻法でまず戦える土台を作らなければならないと考えたのではなかろうか。「守備力を鍛えないといけない」。ジョコビッチと戦った後の錦織は、そう発言することが増えている。
グルビスは相変わらず安定していない。7月のロサンゼルスで久しぶりにツアーで優勝して見せたが、それ以前は4大会続けて1回戦負けしていたのだ。「あのボールが入ってきたら、手に負えない」。グルビスも錦織もそんな魅力を持った選手だ。だが、両者ともに自分に必要なものはきちんと理解している。彼らの魅力が最も生きるのが全米のハードコート。さてさて、どんな試合を見せてくれるのか。それはスペクタクルの始まりだ。