錦織圭は、3回戦でマリン・チリッチに敗れた。試合後の本人は「自分のテニスの内容にも結果にもまったく満足できない」という表情とコメントをしていたが、客観的な視点から見れば現時点での彼が見せたプレーは様々な示唆に富んでいた。
1、2回戦での錦織は、きっちりと守りを固めた上で確実にボールを相手コートにねじ込むことで勝利した。基本的に積極的な攻撃テニスを身上とする彼にしては、堅実に勝利を目指した形で、グランドスラムでの上位進出を目指した時に必要になる大会序盤でスタミナを消費しすぎないための戦い方という意識が垣間見えた。
だが、錦織は1、2回戦と同じ種類のテニスを自分より上位であり攻撃力も互角以上の能力を持つチリッチ相手にもやってしまった。敗因を探すとすれば、そこに理由があったのではなかろうか。だが、これは何も悪い要素とばかりも言えまい。錦織は、今や下位の選手相手にはきっちりと勝つテニスを身につけつつある。それを披露したのが1、2回戦での勝ち方であり、戦い方だった。
錦織のテニスの強さは「意外性」とよく言われるが、それは基本的な戦い方のベースがあって初めて生きる要素。今の彼とその陣営は、それを固めようとしているのだろう。フェデラーがナダルを苦手とするのと同じで、どうしても相性的に勝ちにくい相手が出て来るのは対戦競技の常だが、それを極力減らし確実に勝ち星を積み重ねるには、底力のアップしか方法はなく近道はない。最もベーシックな部分で勝てる試合を増やし、とっておきの武器は本当に必要な時まで使わずに済む戦い方。今の錦織がトライしているのは、そういう本物の強豪になるためのテニスということなのだろう。「もっと上に行くためには、こういう相手にも勝っていけるようにならないと」と、試合後の錦織はコメントしていた。
選手たちがよく口にする言葉に、「勝ち方」というのがある。「強い選手は勝ち方を知っている」というかたちでよく出て来る言葉なのだが、今の錦織は上位選手相手のそれを学習しつつある過程なのだろう。まずは3セットマッチで勝つ道を体得し、グランドスラムで勝ち上がっていくのに必要な5セットマッチでの戦い方を覚えて行く。いずれ近い将来という段階で、その日は来るだろう。その時を楽しみにしながら、今は待ちたい。
男子はアンディ・マレーがグランドスラム初制覇を果たした。「彼ならいつでもタイトルを取れる」とフェデラーを始めとしたほとんどの選手たちが口にしていたが、今回でそれを証明したことになる。そのフェデラーは、準々決勝でベルディッチにパワー勝負を挑まれ、それを正面から受け止めすぎて敗退した。これはフェデラーが好調を自覚していたからこその敗戦だったように見えた。ベルディッチの球威は凄まじい。当たっている日の彼を真っ正面から止められる選手は、ほとんどいないだろう。普段のフェデラーであれば、そのパワーと正面対決するよりも、かわしたり、いなしたりしてしなやかに対応もできたはずだが、今の自分のプレーに対する自信が強過ぎたのか、ベルディッチの球威に対してリズムを早めることで対応しようとしていたのが敗因だろう。試合後はさすがに意気消沈していたが、これもまた彼に自信があったことの証拠の一つとして捉えられなくもない。フェデラーほどの選手であれば、今回の敗戦の理由も原因も、すぐに理解し次のステップに進めるはず。結果的には残念だったが、そのテニスそのものに狂いが生じていたわけではない。恐らくすぐにでもという短期間で、またあの強いフェデラーに戻るだろう。
さて、日本勢のもう一人である伊藤竜馬についても触れておこう。伊藤が試合をした14番コートは残念ながらテレビ中継の入っていないコートだったため、その試合ぶりを見られたファンは現地観戦組のみというかたちになってしまったが、オーストラリアのマチュー・エブデンを相手にストレート負けとはいえ、十分にその実力は見せられたと言っていいだろう。連日の猛暑だった大会前半の気候の影響もあって、前哨戦のウィンストン・セーラム大会から体調が良くなかったという中でも持ち味である強いボールで勝負する彼のテニスは見せられていた。
女子で目立っていたのは、やはりセリーナ・ウイリアムズとビクトリア・アザレンカの2人ということになるだろう。セリーナは「第2の全盛期」を迎えているムードが強く、コートでは自信に満ち、パワーだけでなく試合中の様々な駆け引きも含めて最も内容の濃い試合を毎回演じていた。
一方のアザレンカもまた、かつては弱点とされていたほとんどの部分を修正、強化し、ほぼ完璧なプレーヤーとしての成長ぶりを見せつけた。中でもリターンの精度とフォアハンドのキレの鋭さはセリーナを相手にしても全く遜色ない高いレベルを見せつけ、決勝でもセリーナをあと一歩の崖っぷちまで追いつめた。「まだまだ足りないところがある。セリーナはそれを教えてくれて、私のテニスをもっと良くしてくれる存在」。アザレンカは決勝で敗退した後に、素直に自分の力不足を認めていたが、これもまた彼女の強さだろう。
今季のアザレンカは急成長と言っていい勢いで勝ち星を重ねたが、それでも増長するような態度は見せず、あくまでも冷静に自分の力を評価する目を曇らせていない。これは強くなっていく選手には必要な要素なのだが、彼女はそれを自然に持っている。セリーナが「試合前には準優勝のスピーチも考えていた」と話していたが、相手の力を認め、自分の実力の評価を適切に行ない、試合に向けての準備を整えて行くことの重要性を今年の女子の決勝が教えてくれたという見方もあるだろう。
いずれにせよ、今年のグランドスラムは終わった。男子は4つの大会をすべて違う選手が取り、それがいわゆる「4強」という状態で、史上稀に見る激戦だった今年を象徴する形で幕を下ろし、女子ではセリーナの完全復活と、彼女に対抗できる力を持った若い選手たちが次々と育っているのを実感できた大会でもあった。USオープン単体で見ても、また、今季の全体、そして来季以降を考えた長期的な視点で見ても、見どころの多い充実した大会だったと言えるだろう。