US OPEN 2014 REPORT

US OPEN 2014 REPORT

US OPEN 2014 REPORT 『ひとつの賭け』という言葉から始まった錦織 圭の快進撃

錦織圭

8月初めに右足の拇指球付近にできていたという嚢胞を除去する手術を受けた影響で、当初は出場すら危ぶまれていたのが錦織 圭だった。開幕直前には出場そのものが「一つの賭け」(錦織)と話し、その後、「そもそもニューヨークに来るべきかどうかもわからない状態だった」と話している。

だが、1回戦でウェイン・オデスニックを破ったことで、突然変わった。嚢胞の手術そのものは、関節などの炎症とは違い傷口さえ塞がってしまえばプレーにそこまで深刻な影響があるものではない。彼が不安だったのは、前哨戦をスキップしたことでほぼぶっつけ本番状態での試合だったことや、まともに練習を積めなかった期間の長さによるもの。それが1回戦で自分の動きや感覚を確かめることができ、『これなら行ける』と思ったのだろう。「いつもよりも調子がいいぐらい」(錦織)。この試合を境として、錦織のコメントのトーンが明らかに自信に満ちたものへと変化していった。

錦織は、自分がまだできないと考えていることを軽々しく口にするタイプではない。「勘違いしちゃうので」というのは、彼がジュニアの時代からの一種の口癖のようなものだが、これは逆に自分は勘違いしやすいタイプだと思っているからこそ出て来る言葉でもあるはずだ。勘違いしやすいタイプの人間は、得てして思い込みも激しい。思い込みの激しさはマイナスに作用することもあるが、彼ほど自制の効くタイプであれば、そのプラス面だけを自分から引き出せる。USオープン期間中に何度も報じられた「今はもう勝てない相手もいないと思うので」という彼の言葉も、そう表現することが、彼の中では「勘違い」には当たらないと思ったからこそ出て来た言葉だったのだろう。

錦織圭実際、準決勝のジョコビッチ戦で見せたフォアとバックのストロークの能力は、当代随一のクオリティがあった。マッツ・ビランデルは「今までの見方を改めないといけないと感じた。錦織のストロークは今のテニス界でもトップクラスだ」と話している。事実、錦織はジョコビッチを相手にラリーをほぼ完全に支配下に置いていた。速いタイミングで自在に振り回して来る錦織に対して、ジョコビッチのポジションはズルズルと後ろに下げられ、錦織はアングルへ、ダウン・ザ・ラインへと次々とトドメを刺していった。ランキング№1のジョコビッチが、ここまで一方的に展開を支配されると予想できた人間は一人もいなかったはずだ。

錦織圭しかし決勝で戦ったチリッチは、このジョコビッチ戦からデータを取り、かなり錦織対策を練った戦い方をしてきたフシがある。チリッチが終始落ち着いた戦いぶりを見せたのもそれを裏付けると言ってもいい。また、決勝は錦織本人が語っていたように、動きに精彩を欠いていた。4回戦のラオニッチ戦が4時間19分、準々決勝のワウリンカ戦が4時間15分と2試合連続で4時間を越える試合を戦い、準決勝のジョコビッチ戦は2時間52分だったものの、決勝の時には自分の本来の力を出し切る力が残っていなかった。

だが、常に日本のテニス界における『常識』を覆してきたのが錦織。今までの尺度で彼を計ることは完全に間違いだと、今回のUSオープンが改めて教えてくれた。この準優勝はあくまでも最初のチャンス。「次は必ず」と錦織は口にした。ツアー最終戦の出場、そしてそこでのタイトル争いまでを期待していいのが今の錦織だ。日本のテニス界のあらゆる記録は、錦織によってすべて塗り替えられるに違いない。


フェデラーの存在感
05年全仏オープン以降の男子テニス界を支配してきたのが、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーの『ビッグ4』と呼ばれる選手たちだ。フェデラーしかし、今回のUSオープンではナダルが欠場、マレーは本調子が戻っていない。ジョコビッチも小さなスランプに入っていて、一人だけ調子を上げていたのがフェデラーだった。大会直前のシンシナティでモンフィス、マレー、ラオニッチ、そしてフェレールを倒して優勝。ほぼ完璧な形で本番を迎えていたのだ。

フェデラーがグランドスラムの連続出場記録を60としたのが今大会。00年の全豪オープン以来14年、グランドスラムを欠場しなければならないような故障を起こさず、常に安定して優勝を争って来たということを考えると、連続出場60回の意味がさらに大きさを持つ。これは彼が持つ17回のグランドスラム最多優勝回数と同じくらい評価されるべき数字かもしれない。

フェデラーは長く、『王者』という冠詞付で語られることが多かった選手だが、王者の責任はただ勝つことだけではない。時には新しく台頭してきた選手を相手に、きちんとその力を見せつけた上で負けるというのも大切な役割だ。フェデラー勝負の世界では、正しく王位の継承が行なわれないと、その競技そのものへの熱気が冷めてしまうことがある。『王者』と呼ばれる選手だからこそ、その競技全体への責任が生まれる。フェデラーは恐らく、そういう意識を持っている選手だ。

それでも最盛期と比べれば全体にスピードが下がって来ているのは否めないが、それをカバーするためにネットプレーを増やしている。別の項で紹介しているが、ラケットを新しく97平方インチのものにしたのもそのためだ。このUSオープンではまだ、彼が理想とする戦い方は完成を見ていなかったようだが、かなり近づいているのも確かだろう。「ネットプレーの重要性を示す」と本人も大会中に口にしていたが、本来であれば今はネットプレーヤーには辛い時代。だが、フェデラーなら今の時代に通用するネットプレーの形を提示してくれるだろう。

そのフェデラーは、準決勝で半ば開き直ったように攻めて続けて来たチリッチの前にストレートで敗れたが、2回戦のグラノイェルスや、準々決勝のモンフィス戦(2セット・ダウンからの逆転勝ち)は、彼の巨大な存在感が相手に与えるプレッシャーで勝ったと言ってもいい試合だった。彼に勝利し、その大会で優勝すること。それは今もすべての選手たちにとっての大きな目標であり続けている。それこそが、フェデラー健在、そして最強の証なのだ。


復活の狼煙! 伊藤竜馬
12年10月には一時60位を記録。11年USオープン以降、13年全豪オープンまでグランドスラム6大会連続で本戦入りし、すっかり四大大会の常連になりかけていた矢先に、各部の故障に見舞われ、この1年強はやや低迷していたのが伊藤竜馬だった。

伊藤竜馬だが、ようやく復活の兆しが見えつつある。このUSオープンでは予選3試合を勝ち上がり、本戦入りを果たして1回戦を突破。2回戦ではフェリシアーノ・ロペスに6-4、3-6、6-4、7-6(4)で敗れはしたが、ツアーを代表するサーブ&ボレーの名手の一人を相手に堂々とした戦いぶりを見せ、観客たちをわかせた。伊藤のプレーは不思議と観客の熱を上げる。12年の全仏オープンでマレーと戦ったときも、観客たちはマレーにではなく伊藤のプレーに熱くなった。それは彼のポイントの奪い方がファンの心を刺激するからだろう。伊藤のポイントの取り方はいわゆる『胸がすく』ような気持ち良さがあるのだ。彼は相手の得意部分とも恐れずに勝負に出て、それを打ち砕こうとする。決して引くことなく挑みかかり、正面から戦おうとする姿が恐らく多くのファンをひきつけるのだろう。

日本男子屈指のサービス力とフォアの決定力を持ってはいたが、エースと同じくらいアンフォースド・エラーがあり、安定感、展開力という点で課題があった伊藤。しかし、今回のUSオープンでは、フォア、バックともに角度のついた『オープンスペースを作るボール』の精度が上がり、ラリー戦では体格の良い海外の選手をむしろ押していた。伊藤のテニスは相変わらず魅力的で、そして強くなり続けている。 「さらに自分が進化して、勝てるようになりたい」とロペス戦に語った伊藤。錦織に続く日本男子として、これからどんどん活躍してくれることを期待したい。