US OPEN 2015 REPORT

US OPEN 2015 REPORT

US OPEN 2015 REPORT 「私の人生はこれで完璧なものになった」 33歳での初優勝を果たして今季限りの引退を発表したペンネッタ

ペンネッタ

セリーナの年間グランドスラムの達成の可能性ばかりが論じられ、実際、対抗馬不在、圧倒的な優勝候補と見なされている状況だったが、決勝を戦ったのはイタリアのベテランだった。33歳のペンネッタと32歳ビンチ。ペンネッタにとって、今回のタイトルが意外なものだったのかはわからない。しかし、3回戦のチブルコバ戦を接戦でモノにした後は、2011年全米の覇者ストーサー、ウィンブルドンで優勝2回のクビトワ、そして第2シードのハレプを連破して、決勝ではセリーナを倒して決勝に上がってきた幼なじみのビンチを倒しての優勝は見事という他はない。

ペンネッタはイタリア勢らしく、多彩な技術を持つ選手。クレーでももちろん強いが、リズムの早い展開にも対応できる彼女は、全米オープンを得意としていた。ベスト8が4回、ベスト4が1回と、全てのグランドスラムの中で、彼女が最も安定した成績を出しているのは全米オープンだった。

ペンネッタは2012年の終わりから13年序盤まで、右手首の故障と手術で半年ほどツアーを離れていた時期がある。年齢的にも引退を考えたというが、あきらめずに復活を遂げ、昨年の全豪オープンでベスト8に進出した時には、「年齢を重ねるということは、また新しい目標に向けて、より人生を楽しもうとすることだと思う。そう思わない?」と話していた。

ペンネッタ決勝を戦ったビンチは、同じイタリアのブッリャ州の出身で、9歳の頃に知り合った幼なじみ。1999年の全仏オープン・ジュニアではダブルスを組んで優勝。プロになった後も、イタリアのフェド杯チームのチームメイトとして、イタリアの4度の世界一に貢献するなど、チームメイトとして過ごした時間も長いという関係だ。また、家族同士の仲もよく、決勝ではお互いの両親が地元イタリアで娘たちに声援を送っていたのだという。

イタリアは2000年頃から、フェド杯での優勝を目指して選手たちをチームとして扱って強化してきた歴史がある。普段のツアーでも、イタリア勢は可能な限り同じ大会を周り、コーチやトレーナーが帯同してサポートしていた。ペンネッタやビンチはその中心メンバーの一人で、スキアボーネやエラーニなどのグランドスラムでの活躍もそうした背景があってのことで、突然のことでもなければ、意外なことでもなく、長いプロローグの末に、ようやく成果が出たと評価してもいい。

ペンネッタお互いを知り尽くしているという言葉以上の二人の決勝は、ペンネッタのペースで進んでいた。ビンチがペンネッタの裏をかこうと、それまでとは違う種類のプレーを織り交ぜた一方で、ペンネッタは自分のプレーを貫いた。

決勝前までの対戦成績はペンネッタから5勝4敗。対戦は2年ぶりと久々だったが、自分の形をある程度崩さざるをえなかったビンチと、あくまでも自分のプレーで勝負したペンネッタには、やはり差があったと見るべきなのだろう。試合はペンネッタが7-6 (4) 6-2で勝利して、全米オープン史上では最年長での初優勝者となり、自己最高位の8位に浮上した。

手首の手術からの復帰当初は「またトップ10に戻るのが目標」と話していたのがペンネッタだった。当時はそれも遠過ぎる目標かと思われていたが、全米オープンの1ヶ月前には今季限りの引退を決意していたという彼女にとって、この優勝の意味は、とてつもなく大きなものだったに違いない。

「これで私の人生は完璧なものになった」。

選手人生の理想的な最後というのがあるのだとすれば、その一つは間違いなくペンネッタの形になるだろう。


18度目のグランドスラム・タイトルはならず ロジャー・フェデラーの全米オープン
フェデラーサービスライン付近まで突進して、相手のセカンドサービスをリターンして、そのままネットに詰めていく「SABR(スネーク・アタック・バイ・ロジャーの略)」が大きな話題となっていたのが全米オープンのフェデラーだったが、彼のこの技は、かつてはサーブ&ボレーヤーたちがリターンゲームの攻撃手段として普通に使っていたチップ&チャージの延長線上にある戦術の一つだ。リスクの高い選択肢ではあるが、成功させればポイントを短くできる分だけ体力をセーブでき、また、最近ではこれに近いプレーすら、シングルスではやる選手がいなくなっているため、セカンドサービスを打つ相手の動揺も誘える奇襲作戦としてうまく機能していた。サーブ&ボレーヤーとしてもプレーできる素養があり、ハンドアイコーディネーションに優れたフェデラーらしいプレーでもあるが、これだけで今の好調さを語るのはいささか乱暴だろう。

決勝ではノバク・ジョコビッチに敗れ、2012年ウィンブルドン以来のグランドスラム・タイトルの獲得はならなかったが、34歳を迎えてもなお、「今はプレーするのが楽しい」と言えるのが彼の強さの源。3回戦以降はコールシュレイバー、イズナー、ガスケ、ワウリンカといずれもタイプの異なる、ツアーでも名うての難敵たちを退けた強さは健在で、今なお「フェデラーに一度リードを許したら逆転はできない」という相手にかける無言のプレッシャーの強さは残っているというところを見せつけての快進撃だった。

フェデラージョコビッチとの決勝での打ち合いは、テレビではわかりにくいかもしれないが、そのスピードとタイミングの速さ、ポジション取りのアグレッシブさなど、現代テニスが見せられる最高レベルのやり取りで、息を飲むような凄まじい迫力があった。

2011年の全仏オープンの準決勝でのフェデラーもまた、今回と同じようなスピード勝負をジョコビッチに対して仕掛け、試合を通じてスピードを加速し続けて最後は押し切って勝利した。あの攻防もテニス史に残るスピードバトルだったが、今回もまた彼らにしかできない圧倒的な戦いぶりだったのは間違いない。

ただし、あの時はクレーだったが、今回はハードコート。少しのミスも許されないスピード勝負には最適な舞台だが、フェデラーの攻めを迎撃する立場だったジョコビッチとしても、ハードコートならイレギュラーもなく、受け止めやすいという面はあっただろうし、また、あの時に負けたという経験が、ジョコビッチをさらにスピードに対して強くしたという側面もあっただろう。

「僕はもっとうまくやれたと思う。いや、やらなきゃいけなかった」。試合後のフェデラーはそう決勝を振り返っている。フェデラーはまだ諦めていない。


セリーナの年間グランドスラムならず
セリーナ今年の全米オープンで、世界の注目と関心を最も集めていたのはセリーナ・ウイリアムズの年間グランドスラムの達成なるか、ということだった。大会前の段階ではセリーナを阻むライバルが不在、セリーナに何かアクシデントでも起きない限り、実現する可能性の方が高いと誰もが思っていたはずだが、準決勝でロベルタ・ビンチにまさかの敗退を喫し、夢の実現は2016年以降に持ち越されることとなった。

セリーナ自身は敗戦後に「プレッシャーは感じていなかった」と強調していたが、準決勝を見ていたファンで、その言葉を信じる人はいないだろう。特に試合の後半は足が動かなくなり、彼女らしくないミスで失点を重ねた。

相手のビンチのバックハンドのスライスの弾道とバウンドの低さに手こずり、「彼女がナーバスになっているのがわかった」と話したビンチが、緊張しているセリーナの姿を見て逆に落ち着けた側面もあっただろう。セリーナとて人の子だったという一言に尽きるのではなかろうか。

全米オープンはシーズンの最後に開催される。1年を通じて常に好調を維持できる選手はいない。セリーナは大会の出場数こそ多い方ではないが、今季戦った試合数は55試合でツアーでは4番目。52勝3敗で勝率は94.5%と出る大会ではほとんど勝っている分だけ、1つの大会での消耗も激しくなる。全身に故障を抱えた33歳の肉体に厳しくないはずがない。

アメリカの各報道は連日セリーナの動向について事細かに報じ続けていた。国中の期待が自分の両肩にのしかかった状態は重圧以外の何物でもなかったはずで、また、準公式記録ではないとは言うが、少なくとも大会関係者たちが記憶する中では初めて男子シングルス決勝よりも早く、女子シングルスの決勝のチケットがソールドアウトし、ネットの二次販売のサイトなどでは、とてつもない額でチケットが販売されていたという事実もある。準決勝で負ければそれら周囲の期待全てが無に帰すという意味でのプレッシャーに化けていたはずだ。  セリーナ
もちろん、彼女自身、自分に期待する気持ちもあっただろうし、自分にはできるという自信も持っていたはずだ。すでにグランドスラムで4連勝は果たしている。あと1つができないと思う方が逆に不自然だ。

だが、ならなかった。1988年にシュテフィ・グラフが年間グランドスラムを達成した時の第一声が、喜びの言葉ではなく「ほっとした」という一言だったのが思い出される。セリーナの挑戦はまた振り出しに戻った。